ぱせりのお部屋

日常の愚痴や感じたこと、何気なく思ったことなどを徒然に書き込みます。

徐福と神武東征

昔、30年程前になるが、友人と一緒にドライブに出かけて、徐福公園に立ち寄ったかとがある。


徐福公園があることは、十代の頃から知っていたが、あまり機会がなくて行ったことがなかった。


この時も熊野三山へ足を延ばし、いつも通りに本宮から順番に回っていて、お昼を少し回った時間に新宮市内で昼食をとることにした。


適当にファミレスが目に付いたので、国道沿いにあるお店に入ったが、時間があるので食後に、なぜか思い付きで「行ってみようか」という事になる。


近くには、浮嶋の森もあるので、一応どっちに行くか話し合ったところ、友人も浮島の森は行ったことがあるというので、「じゃあ徐福公園へ、話のネタに行ってみよう」という事になった。


徐福とは、言い伝えによると今から2200年ほど昔、秦の時代に実在したと言われる人物で、秦の始皇帝に命ぜられ、不老不死の仙薬を探し求め、日本へやってきたとされる人物だ。


その仙薬(霊薬?)は、須弥山という山に生える木になる実で、その木が橘という木だとか、目薬の木だとか伝えられているらしい。


その霊薬の木が生えている場所、それが浮島の森と言い伝えられている。


嘘か本当かはわからないが、今では観光地の一つになっていて、お土産物としてお茶が売られているが、別に美味しくはない。


だから、すでに知っている浮島の森よりは、徐福公園の方が話のネタになりそうという事で、ちょっと寄り道してみた。


なんとなく、中国っぽい楼門とか、徐福をイメージした像があって、チャイナ感濃いめなんだが、横浜の中華街や長崎とか神戸を想像すると…かなりちゃっちい。


無理に寄せなくても…という感想が...orz


というわけで、お土産物に饅頭を買って帰った。


ちなみに徐福御一行様は、童男童女を含む3千人ほどが、この地に移り住んだと伝えられているが、徐福伝説って、北九州から西日本一帯にあるよね。


何奴⁉…て、感じするんだけど、なぜか記紀には登場しない。


でも、なんか重要ポジション的な気がするんだけど、来日すること三回も一族を引き連れ移住しているという。


じゃあ、三千人どころか一万人ほど来てるんじゃね⁉


そう思ったら、かなりの人数なので、民族の大移住やんと思った。


一回につき数千人単位だと、船団で来てたってことで、記紀に記録が残ってないことに疑問が残る。


ただ、日本書紀の編纂は、視点が韓国らしいので、日本国内の事情は不明な点が多くなるというので、私は記紀より風土記などの国内の書物の方に重点を置きたい。


で、もう一つ思い浮かぶのは、この徐福伝承の地って、神武東征の物語の舞台だ。


なんだか無関係な気がしないし、そもそも神武って実在しないと言われているし、高校生の頃、男子から聞いた話じゃ、神武東征は、別の人物の物語だろうという事、徐福がそうじゃないかと思われる等々、聞いたことがあったので、徐福と被ってるなあとは思った。


がしかし、仮に徐福が、九州の日向から来たとされる彦火火出見(狭野)だとしたら、三回も行き来しているので、他の人物にも被っていそうだなと思う。


では、他の人物って…誰⁉


其処が長年の謎だった。