桃太郎と言えば…
そう、きび団子でも有名な岡山県ですが、桃太郎のモデルと言われるのが、記紀にも登場する孝霊天皇の皇子であるキビツヒコです。
実は、キビツヒコには双子(異母弟?)の兄弟がいて、その名をワカタケヒコと言います。
ちなみに、キビツヒコは第10代崇神天皇の御代では、四道将軍の一人と言われていますが、奈良県(田原本町)出身となっていて、言い伝えでは、温羅という鬼を退治したことから、桃太郎のモデルとされています。
この温羅という鬼は、実は朝鮮半島からの渡来人で、身長が4mもあったと言われており、製鉄技術などを伝えたとされているので、秦一族の末裔ではないかとも言われています。
まあ、実際は2m超ぐらいの大男で、たたら製鉄を生業にしていたのなら、鬼のような強面と赤い顔をして、筋肉質な体格だったと思われる。
はてさて、奈良県と言えば葛城山の役小角で、前鬼後鬼が有名ですが、その子孫は今も生きています。
そう、修験道の開祖である役小角の弟子で、後に夫婦になって五人の子を産んだそうです。
そんな話を思い浮かべ、温羅という鬼を退治したというキビツヒコ(桃太郎)って、何だったんだろうと思いました。
また、崇神天皇は、熊野三山である那智大社へ赴き、霊術を会得したと伝えられていますが、熊野と言えばヤタガラスとカラス天狗です。
天狗の面表は…鬼によく似ているのではないでしょうか。
そして、カラス天狗というと京都の鞍馬を連想しますが、鞍馬で修業をし、霊氣を現代に復活させた臼井ミカオ氏は、その秘術を大本教の出口王仁三郎に伝えたとされています。
また、鞍馬というと牛若丸と弁慶ですが、その弁慶坊は熊野(田辺市)の生まれとも伝えられ、源平合戦で活躍する熊野水軍は、記紀にも登場します。
そう、水軍と言えば村上水軍も連想するのですが、彼等は同族ですよね。
しかも遥か縄文の頃からの海人で、世界中の海を渡り歩いた海洋民族の子孫です。
その彼等の拠点は瀬戸内海で、四国の阿波ですね。
紀国和歌山と、紀伊水道の海を挟んで向かい側ですが、再び熊野古道が出てきます。
その紀国には、神武東征の舞台で、名草戸畔(ナクサトベ)という女首長(女王)の話があるのですが、彼女もまた討伐され、頭と手足と胴体にそれぞれ分けて葬られる。
そう、温羅もまた討伐された後、頭と手足と胴体に分け、葬られています。
おやおや、なんだかそっくりで、よく似た話じゃないですか。
しかも祀られた神社には、石工の痕跡と岩屋に巨石文明の痕跡等々があるのです。
そんなトコ迄そっくりで、それらは縄文文明の痕跡ですよね。
と、彼是考察していくと…あれ⁉
温羅という鬼は、簒奪者ではなく、はるか昔に世界中に散ったとされる縄文人(海洋民族)の末裔ではないのだろうか。
では、桃太郎(キビツヒコ)は、あとからこの国の支配権を握った、簒奪者側なのではないか⁉
そう結論づいた。
この国を一つにまとめ、最初の天皇となったハツクニシラススメラミコトという名が示す通り、本当の意味での天皇なのだと思う。
だから、後世に伝えるとき、勝者側に都合よく書き換えられた…という事かもしれない。
従わぬ者たちを鬼と呼び、土蜘蛛族といい、物の怪の如く扱って、首長たちは討伐された。
と、私は考察する。
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