ぱせりのお部屋

日常の愚痴や感じたこと、何気なく思ったことなどを徒然に書き込みます。

毒親育ちは嫌われる


対人関係下手すぎ!毒親育ちが人に嫌われる理由TOP3【毒親からの解放】



毒親育ちあるあるですが、理不尽な目にも何度か会いました。


例えば、私は本が好きで、小学校に入学して最初に嬉しかったのは、図書室利用ができ、本を自由に借りれる事でした。


もちろん、担任も図書係の先生も喜んでくれ、借りたいと言えば、いつでも快く貸してくれたのですが…ある時、図書係の先生が出張で留守だったため、職員室の手近な先生に返却を依頼したところ、心無い言葉を投げかけられ、以降は本を借りるのを諦めたことがあるのです。


その教員は、男性で「本当に本が読めるのか」というのです。


意味が分からず、聞き返すと「お前のような育ちで、文字の読み書きや計算ができるのか」と言われました。


そう、一年生に入学したばかりで、ろくに読み書き計算も知らないくせに、一人前に本を借りて読むとか、生意気だというのです。


いやいや、ホンマになに言ってんでしょうかね。


文字の読み書きや簡単な足し算引き算は、幼稚園の年長になれば、普通にできますよ。


ついでに1~2年生程度の漢字も読めたので、本を読むくらいは何でもなかったし、最初に借りた本を返却するとき、読んだ感想を担任に聞かれて答えました。


あとで気づいたのですが、たぶん本がちゃんと読めているか、確認したのだと思います。


でも、この男性教師は、なんて失礼なことを言うのでしょうか。


ただ、このことがきっかけで、他人からどう思われているか理解しましたが、一年生でもわかるんですよね。


ショックで気分が悪くなり、二度と学校では借りないと告げると…気に病んだ担任が、学校帰りに公民館で本が借りれるよう、公民館の職員へ連絡してくれたのです。


しばらくすると、噂になったのか、近所の大人で、親切な人は「お前、本が好きならお古やろか」と言ってくれるのですが、婆に「人から貰うな、借りるな」と反対されるので、借りる事も貰う事も出来ませんでした。


そう、上の子たちが本を読まないのに、私ばかりがそういう事をするので、嫌だったみたいです。


本当、大人の事情って、面倒臭いですよね。


やがて、4年生の頃に転校した町で、児童図書館ができ、ほぼ毎週通っていたら、月間貸し出し数トップで、図書券を数回貰えました。


そんな私が、母親による虐待に気づくのは、5~6年生の頃になります。


普段から「何か他所の家と違うな、変だな」とは感じていたのですが、それが婆によるネグレクト(虐待)だと知ったのは、入院した時の話。


私は、治療のために入院していた時、ナースステーションで、噂話に夢中になった、看護婦たちの話を聞いてしまったからでした。


実は、婆は事前に診察に来て、入院手続きをとるように言われていたのに、自分の都合で無視し、いきなり予定を無視して入院しろ、手術をさせろと言い、困り果てた病院側が、私に「手術受けたいか」と聞くので、「この機会を逃せば、もうチャンスはないと思うので」と答えると、入院させてもらえることになり、その代わりに入院させる条件に、母親の付き添いを約束したが、それさえまともに行えず、子どもを放置して、次女姉に付き添いを丸投げし、しょっちゅう姿をくらませ、連絡つかなくなるので、看護婦から「非常識」とお小言を言われる始末。


マジ、迷惑な人だったので、陰口叩かれるのは仕方がなかったのですが…聞いてしまった私は複雑でした。


そんな時、婆は浮気相手の男性と堂々と病室にやってきて、偉そうに言うに事欠いて「お父さんと呼べ」と命令するので、ブチ切れて大暴れし、叩き出したのですが、何を思ったのか、ナースステーションへ行き、私の気がふれたと告げ口して、精神安定剤を打たれそうになり、再度キレて怒鳴りつけて、看護婦もろとも病室から追い出すと、三日ほど病室に現れなかったのです。


マジで鬼畜な婆に腹を立て、姉に連絡を入れても「(母子寮には)帰っていない」といい、姿をくらませるので、姉に「お母ちゃんは、社宅を名義貸しで股借りているので、そこにいるはず」と告げても探しに行こうとしません。


後に退院後に、姉から「なぜ、そんなことを知っているのか」と聞かれますが、普段から怪しい行動とっているにに、なぜ気づかないのかと聞き返し、大揉めします。


それでも追及するのが怖いのか、婆に聞こうとせず、私が問い詰めて聞いても誤魔化すので話にならず、結果的に姉たちは婆の顔色ばかり窺います。


こうして、婆は都合の悪い話は、のらりくらりとかわし、誤魔化し続けました。


姉たちは、自分たち子どもが、婆にネグレクトという虐待を受けていることに気づかないのです。


逆に私が嫌がらせを受け、婆と姉たちに組まれて、追い詰められました。


なので、言っても無駄だったので、中学を卒業したら、離れる決心をします。


でも、それさえ婆と姉の連合で阻止され、邪魔されるのです。


こうして私は、ようやく中学を卒業しますが、毒親育ちあるあるで、顔色を窺う癖がつき、他人の反応を見て行動を決めるため、一部の人間から嫌われていました。


今思うと、私が嫌われる理由は、毒親育ちあるあるだったんですね。


また、そんな三女は、中学卒業後の進路も周囲の大人の顔色を窺って、担任や母子寮の職員に勧められるまま、進学を諦めて就職します。


親戚の伯父さんに言われても言うことを聞かず、受験をすることなく就職し、就職先にある定時制高校へ進学しました。


当然私も就職を勧められますが、一切無視して進学一択で受験しました。


そう、実は、婆は長女の事しか関心がなく、次女は次いでという感じなのですが、三女と私には一切気に留めないのですが…実は、伯父からの小言があって、急遽「進学しろ」と言い出すのです。


もとより婆のところにいるつもりがなく、卒業後は父親のもとから通うつもりだったので、進学するつもりだったのに、この伯父の一言で出ていけなくなりました。


実は、婆に依存されてしまうのです。


また、長女は高校卒業ギリギリまで就職先が決められず、婆をやきもきさせるのですが…姉は自分では何も決められなかったのです。


自分の意志で決める事が出来ず、進学も就職も選択できませんでした。


それは三女も一緒で、周囲の大人に指図された通りにしか、勧めなくなっていました。


だから、なんでも自分の意志で決める私に対し、妬ましくて仕方がなかったようです。


でも、それは誤解で、私は周囲の顔色を窺って、行動を決めるところがあったので、やっぱり優柔不断で自分に自信がなく、一部の者からは嫌われていました。