ぱせりのお部屋

日常の愚痴や感じたこと、何気なく思ったことなどを徒然に書き込みます。

里帰りと睡眠障害からの回復

当時の私は、兎に角何も考えずに寝たかった。


安心して眠れるスペースが欲しかったので、多少の遠出が出来るようになっていた息子を連れて、実家へと5年ぶりに帰省する。


もう、それしか方法が思い浮かばず、寝て体力を回復したかった。


たぶん、数日は泥のように眠ると思われたので、帰宅すると真っ先に買い出しに向かう。


とりあえず、寝込む前に子を婆に預け、当面必要な食料を買い出しに向かった。


えっ⁉、実家なのに、どうしてと思うだろうが、婆が帰省する娘親子のために、手料理を作って出迎えると思う⁉


そんな気の利いた人だったら、私等姉妹がネグレクトされるわけないやんか😅


出産のときの様子からしてわかるように、知らない人から見たら、実の母娘じゃなく継母と思われるんだよ。


そのくせ、自分が困ったときは、長女ではなく私を頼る、こき使うのだ。


なぜかというと、私が小4の頃に母娘で母子寮に移り住んだんだが、働く母に代わって、家事全般を任すはずの中学生の長女は、実は何も出来なかったんだよ。


同じ母子寮には、同じ年頃の中学男子がいたが、彼は小学生の妹(私より二個下)の面倒を見て、炊事洗濯をこなし、新聞配達のバイトもして、母親を助けていたわ。


だからさ、私は夜な夜な母子寮を抜け出して、旅館の仲居をする婆のところへ行き、ご飯が食べられないと訴え、食べ物を調達してた。


それが小学校を卒業するまで続いたわけで、中学からは自分で弁当作って学校に通った。


婆は面倒臭がって、三食を作ってくれることはなかったのに、長女は御飯一つ炊けなくて作れないし、次女はその長女の命令がないと基本何もしないできない娘で、三女は偏食(摂食障害?)でご飯と菓子パンと野菜しか食べられなかったので、そもそも適応外なのである。


そんな環境下では、生きるためには自分で何とか確保するしかなくて、見よう見まねで炊事をしようと台所に立ってみれば、キレる長女にボコボコに殴られるため、仕方なく夜な夜な母子寮を抜け出すしか方法はなかった。


なのでこの頃の私は、朝食を食べたことがなく、学校の給食がなければ、一日一食の日もあった。


その地獄の日々から解放されるのは、私が中3に進級する頃になる。


そう、この年の春、長女は高校を卒業し、就職して家を出て、三女も働きながら定時制へ通うため、二人して母子寮を出ていった。


これが、心療内科の医師が言っていた「生き難さから解放された」瞬間なのである。


次女との生活は、ほぼ揉めることもなく穏やかに過ぎていった。


この時、思ったのが『これが普通の世間並みの生活というものか』であり、婆も平和な時間に余計に帰らない日が増えていった。


実は婆はこの頃、社宅の一部屋を名義借りして一人暮らししており、母子寮には週に1~2回(月一?)帰ってくればいい方で、一週間から十日は平気で留守にする。


たぶん、母子寮へきてから一年も経たないうちから、育児放棄して三日に一度しか帰ってこなかったのだが、婆の寝泊まりする場所、それを知っているのは私だけなのである。


えっ⁉、なぜ姉たちは知らないのかって⁉


そりゃ、何らかの精神疾患と発達障害があるからじゃね⁉


知らんけど、確実に言えることは、全員何らかの発達障害があるよ。


たぶん、婆による育児放棄が原因だと思うけども。


さて、そんな非常識な婆が、帰省する娘親子の面倒を見ると思う⁉


ありえないよね😅


だから、帰省して最初にするべき行動は、食料の買い出しだったというわけ。



さて、それから一週間ほど、私の記憶がほとんどない。


子どものご飯とお風呂以外は、婆が面倒を見ていたので、起きてるか寝ているか…起きている時は子の食事と風呂だったので、それ以外は泥のように寝て過ごした。


無意識に習慣化しているので、時間になったら子の食事を準備して食べさせ、後片付けは婆がしてくれるというのでまかせ、私は直で寝ていたらしい。


その食料がなくなる頃、買い出しで外へ行き、また帰宅すると寝る。


ひたすら寝て過ごしていたようで、意識が浮上したのは、帰省して一週間が経過していた。


でもまだスッキリしているわけじゃなくて、さらに一週間ほど同じ行動をしていたらしい。


この辺りの記憶がまばらで、あまりよく覚えていない。


ただ、二回ある花火大会のうち、7月の最後の週末の花火大会で、旦那が実家へ来たので、それからは意識が戻っている。


そんなある日、買い出しで訪れたショッピングモールで同級生に再会し、自宅に電話がかかってきて、誘われることが増えると、チマチマ出歩くようになって気力も復活する。


また、不思議なことに息子の言語が増え、意味ある言葉が出るようになっていた。


こうして最初の帰省は、夏休みの終わりとともに終了した。