ぱせりのお部屋

日常の愚痴や感じたこと、何気なく思ったことなどを徒然に書き込みます。

発達障害は、○○との闘い 鬼婆編

息子は、生後6ヶ月迄は月齢通りの発育を見せていた。


そして、体調は落ち着いていたので、都内の病院へ、ヒルシュっ子を扱う病院へ転院した。


妊娠して半年が過ぎた頃、旦那の海外出張が決まり、急遽里帰り出産に切り替えた。


出張は、三ヶ月から半年ほどといい、出産の頃には休暇が取れるので、帰ってくると言われ、それならば里帰りしようという事になった。


初めての出産で、勝手がわからないだろうからと、配慮した結果なのである。


普通なら、妊婦の娘が帰省したら、なんだかんだと世話を焼くと思うが、そんな常識は持ち合わせないのが我が家の婆と姉たちで、代わりに幼馴染の友人たちが面倒を見てくれた。


実家近くの国立病院(現地域医療センター)へ行き、産婦人科を受診する。


産科は、ここ以外にも4~5件あるので、とりあえずバスで乗り換えなしで10分ほどで通える近場を選んだ。


まあ、同級生たちも出産しているので、通いやすい利点を選んだわけで、友達の何人かは心配して様子を見に来てくれる。


けれど妊娠中の経過は良く、特に問題らしい問題もなく、8ヶ月過ぎまでつわりがあったことを除けば、妊婦生活は概ね順調だった。


ただ、産み月になって診察を受けたら、胎児の腹部に便がたまっている様子が…と、女医が気になることを言い出した。


そして予定日を三日過ぎて、破水から始まる。


破水になって、病院へ行くと丸一日経過しても陣痛が来ず、様子見していたDrが「陣痛促進剤を使おう」といい、使用することになったが、丸一日経過しても産道が半分ほどしか開かず、お盆休暇になるので、オペ室が使えなくなるといい、三日目の夜に帝王切開をして出産となった。


そう、私は陣痛室を丸々三日間も占領し続け、吐き気と陣痛でほぼ飲まず食わずで三日過ごしたため、体力はほぼ限界に近かった。


出産時、赤子は産声を上げず、医師の処置で鳴き声を上げると、気胸という状態だといい、すぐさま保育器に入れられ、NICUのある病院へ連れていかれた。


その頃、私は意識がなくなって、大量出血で危険な状態だったらしく、母子ともに危険だったのである。


こんな状態の中、婆は家の旦那とバツイチの長女を誘って、宴席を準備していた。


そして私には、「後のことは心配せず、お前は心置きなく○○していいよ」というのである。


私がいなくなったら、バツイチの姉が旦那と再婚して…という筋書きだという。


人が瀕死の状態なのに、枕元でそんなセリフを吐くのだから、当然だけど病棟の婦長から婆は出禁を言い渡された。


ナントもお粗末な話であるが、これが婆の本音なのである。


あわよくば、ウチの旦那を長女の婿に…というのが、かねてからの計画だったようで、邪魔な私がいなくなればが婆の本心であり、瀕死の状態は渡りに船というもの。


つまり私は、常に狙われていたという事であるが、当の本人(長女とウチの旦那)の意思は関係ないらしい。


婆にとっての優先順位は、常に長女にあるので、お気に入りの娘婿であるウチの旦那は、長女にこそふさわしいというのだ。


また、私にはバツイチの長女の一回り以上年上で、元旦那(バツ②でコブツキ、農家の長男で小姑③付)がふさわしいという。


どういう了見で、そんな評価基準が設けられるかわからないが、人柄とか諸々はないに等しいのだろうか⁉


婆にとっては、実家の長兄や妹一家に対し、自慢できることが大事なのかもしれない。


そいう意味で、ウチの旦那のような理系の高学歴のサラリーマンは、理想と言える。


実際に(私の)娘婿だと言って、親戚に自慢したらしいが.迷惑な話である..orz


だから、息子の状態が安定していたので、私の体力の回復より優先し、早々に都内の専門病院へ転院を決めた。


なぜって、難病モチで「(自分には)育てられない」という婆が、何をするかわかったもんじゃないので怖かった。


ちなみに、婆は過去に自分の息子を故意に見殺しにしているので、病気の子どもは「長生き出来ない」といい、昔なら死んでいたとか、死産になるとか私に言い続けた。


普通の親は、娘にそんなことは言わないと思う。


しかも生まれたばかりの孫に向かって、必死で命をつなごうとしているものに対し、「生かしておくのは、本当に子どものためになるのか」とか、医療が発達していない昔なら、産婆が即座に…と言い続ける。


本当、無神経にもほどがあるだろう。


ただ、そんな考えだから、平気で我が子を見捨てられるのか…と妙に納得がいった。


私自身、この婆に何度も●されかけている。


それは、多分いくつになっても変わらないし、この婆に反省と後悔いう二文字はないのだろう。




さて、病院を転院した息子は、7ヶ月目までは概ね順調だった。
これは、変わらない事実である。