塩、塩…塩対応される日々
とりあえず、普通クラスへ二学年も進級し、4月から支援級へ算数と国語の通級が始まった。
この頃、支援学級は三クラスあり、知的・情緒クラスと肢体不自由の生徒が、十数人が通っていて、市内でも特別支援教育支援員が充実した学校だったので、通級すること自体は可能だったし、十分な対応だったと言える。
これは、学校長の意向が大きく、理解と支援に力を入れていたので、有資格者の教職員が数名在籍されていた。
当時でも、有資格者の教員確保は難しく、複数人在籍しているというのは、近隣の市町村を含め、市内にある小学校でも珍しい。
もちろん、就学前相談へ行った時、相談員の中に学校長がいて、受け入れてくれるというので、地元の小学校を選んだわけだが…対応してもらえたのは、学校長がいた二年までだったのである。
そう、三年へ進級するとき、学校長が定年退職のため、新たに入れ替わったので、支援クラスは知的・情緒の一クラスだけになり、支援員はすべて他校へ配置換えで移動し、支援クラスの担任は、素人で退職間近の高齢の女教師になった。
なのに、ウチの子は強制的に支援クラスに編入になり、「通級は認めない。いやなら、手帳モチは支援学校へ転校するように」と、新しく来た校長から厳しく言明される。
いやいや、支援学校の判断は「地元の小学校へ」という、スクールカウンセラーの意見で決まってんだけど、なぜ校長が変わったとたんに、こうも極端に対応が変わる⁉
そもそも支援員の先生たちは、通級させる方が良いといい、息子に一番適切な判断だと、そういって受け入れてくれたのに、なぜ支援員を一人も残さず移動させた⁉
しかも校長の指示は、支援クラスの廃止が最終的な意向だといい、生徒は増やさないので支援員は配置しない決定という。
そう、十数人いた生徒は、ほんの片手で数えられるほどに減り、6年生が一人、三年生はウチの子ともう一人、一個下が男女一人ずつの5人になったため、補助の教員もつかないという有様なので、支援とは名ばかりになる。
なんだ、この極端な劣悪な環境は‼💢💢💢
と、思わず叫んでしまうような変わりようで、頭を抱える事態へ突入する。
えっ、これは嫌がらせですか⁉
何の試練ですかね。
ウチの小学校、3年前に市内に新たな小学校が開校し、それまで一学年10クラスあったのが、6~8クラスになった元マンモス校ですよ。
ちなみに、ウチの子が入学する前、学級崩壊や学年崩壊が巷で起きていたそうで、市内の小中学校はどこも厳戒態勢だったんです。
今は、順番に他所の学校や近隣の小中学校で起きているらしく、ようやく落ち着いた環境で、小学校ライフを送れると思ったのに…今度は、学校長による塩対応ですか。
しかもうちらの中高生の頃に始まった、保健室登校とか今は廃止されていて、不登校児のための別教室の役割があった支援クラスの臨時教室も廃止された。
えっ、もしかして…これって、問題児含む発達障害児の締め出しってことですか⁉
すっげーワンマンな校長というイメージなんですが、不登校や学級崩壊は、生徒側の問題にされてるの⁉
ええっ、それって酷くない⁉
はあ、だから障害児親は甘えを捨てろと、支援員のいる支援クラスを廃止したと、そいうことですか。
なるほど、必要な支援は、我々の甘えという考えですね。
生徒の困り感は、生き難さは甘えという、それが校長たち教員の共通の考えと聞かされた。
発達障害をすべてひとくくりにして、問題児は教室から排除するという事か。
これ、教員側にしてみれば、自分たち教職員を守る校長ですが、生徒児童側からすると酷い扱いで塩対応ってことです。
自分たちの居場所を奪われるってことなので、大人は、教職員は、生徒の立場と権利を考慮していないって意味になる。
ここから、私は学校側と衝突するようになった。
本当、嫌な記憶がよみがえる。
私は、母子寮育ちで、教員の偏見と差別と、中高生の頃戦ったことがある。
だから、元々教職員が大っ嫌いなのである。
そう、話の分かる数少ない教員は別として、差別と偏見には忌避感が強い。
いや、忌避感というより憎しみに近い感情がある。
今も昔も、この理不尽な扱いは許せないし、子どもに何の罪があるというのか。
私は、校長の態度に腹が立って仕方がなかった。
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