性格の良い人は…どうでも良い人⁉
一般的に、性格の良い人を「どうでもよい人」などと揶揄することがあるが…私は、どちらかというと万人から「いい人」と評される人物は苦手だ。
なぜ苦手かというと、お人好しなのだが、押し付けがましい部分があるので、生真面目な分融通がなくて、NOというと一瞬だけ傷ついた顔をされるからだ。
その上、いう事もやることも、一々悪気がないのでタチが悪い。
これ、実は人を思い通りにコントロールしたいという、隠れた本音が見え隠れする。
だから苦手なのである。
まだ、悪意をもって悪態付きつつ、本音をぶちかます我儘な奴の方が楽で、遠慮なく否と答えて罪悪感がない。
もちろん、私は我儘な性格を持っているため、嫌な時は嫌だと答えるんだが、生真面目な奴は正論で責めてくるのが鬱陶しい。
人間だもの、気分次第で行動することだってあるし、気分が乗らなくて嫌な時もあるだろう。
ただ、それでも必要な時は我慢することも知っているが、自分にとってメリットのないことにさく労力は、非常に面倒臭い。
そもそも私はお人好しではないし、時にグレることもあるので、毎回全力では疲れるのでしないんだよ。
誰にだってダークな一面はあるもので、クリーンな一面ばかり見てられないというものある。
でも、そこを重箱の隅を突くように、責めてくるのが鬱陶しい。
ゆえに、良い人の顔ばかりしてられないのが人間だろう。
甘いだのなんだのと言ってくるが、そもそも完璧な人間はいない。
だから、人とはそういうものと思っているので、完璧を求められると鬱陶しい。
性格の良い人は、自分にも他人にも厳しいようで、不正や怠け心を許さない。
でもね、本当に良い人というのは、そういう他人お悪い部分も受け入れられる人を言う。
だから、万人から良い人と言われる人は、正直言って信用できないんだよねえ。
だって、無意識に他人をコントロールしているもの。
基本、指図されるのが嫌いなので、そういう人種は苦手です。
これ、実はうちの長女と三女の事で、嘘吐きで意地悪な本性を隠している。
ペルソナで他人を騙す。
だから私は、似た人と出会うと…苦手意識を持ってしまいます。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。