ぱせりのお部屋

日常の愚痴や感じたこと、何気なく思ったことなどを徒然に書き込みます。

イズモ…出雲とは何だろうな。

今から十数年前、大学病院で「流鏑馬」で有名な神社があると聞き、足を運んだことがある。


この辺りは、渡来人である高麗若光という人物の一族が、今から千数百年前に移り住んだことで有名だが、彼は時の権力者である天皇家(大和朝廷)に仕えたという。


うん、大和朝廷と言えば、通説では奈良に都があったとされているが、実は纏向遺跡は都の跡ではなく、何らかの公共施設(朝廷の役所)があった場所ではないかと言われている。


事実、明治時代に建てられた奈良の橿原神宮は、元宮は阿波国(徳島)にある。


そう、阿波には、様々な神社の元宮があり、かの有名な長野県の諏訪大社の元宮もあるという。


そういえば、島根県にある出雲大社も明治以降、出雲と名を改めたが、元々の出雲大社は京都亀岡にある出雲大神宮(丹波国一宮)なのである。


その出雲神社の元出雲と呼ばれる神社も、熊野神社の元熊野も四国の阿波にある。


嗚呼、ちなみに地元本宮では、熊野と書いてイヤと読むが、島根には揖屋神社というのがあるらしい。


が、このイヤという名の地名は、阿波が由来なのだという。


で、ここでふと思い出したのが、毛呂山町にある出雲伊波比神社だ。


延喜式とかいうものに載っているそうで、古式ゆかしきこの神社は、阿波の出雲だと書いてある。


最初、由緒書きを読んでいて、『阿波の出雲…って何⁉』と思ったものだが、元出雲も元熊野も元橿原も元諏訪も阿波にあるなら、元々の大和朝廷は奈良ではなく、阿波にあったことになると思った。


そういえば、元伊勢と呼ばれる籠神社の元宮も阿波だったはず。


籠神社の御祭神は、豊受大神だ。


なるほど、この女神の出身地は阿波だそうで、阿波の元の名は伊の国だと聞いたことがあった。


和歌山の紀国が、なぜ紀伊というのか、聞いた話では、向かいの四国徳島が伊の国だから、紀伊水道というのだと教わった。


そして、伊予の国とは、伊と予の国の意味だと聞いた。


つまり、四国はもともと二名を持つ国で、伊と予の国があり、伊予と呼ばれた。


イとは、いろは歌ののことで、一番初めの国のことであると教わったことがある。


後に阿波と名付けられたのは、あいうえお順で初めと終わりがあわだからと。


そんな意味のことを聞いたので、阿波国が始まりの地なのだと知る。


そりゃ、大嘗祭でお召しになる麁服は、阿波で作られ、奉納されるわけだ。


そして、出雲伊波比神社と名付けられたのは、阿波と関係があるからかと思った。


そういや、タケミカヅチを奉った神社、記紀の舞台は阿波にあったねえ。


じゃあ、奈良の平城京に遷都する前は、阿波が本拠地だったってことか。


であれば、時の天皇御一行様が、足蹴く湯治に訪れた崎の湯温泉が、記紀に謳われたのも納得が行くね。


船でお向かいの四国徳島から、渡ってこれる位置にある。


日帰りは無理でも、一泊とかなら余裕で来れる。


地元に残る伝説の悲恋物語のヒロイン真白良姫が、船団を見たって話から察するに、阿波にあった都から出向した船を見て、嵐で荒れた海を沈めるため、身を投げたお話は、奈良に都があったら???だったんだよねえ。


奈良や京都、滋賀からなら、海へ出るなら伊勢に行った方が早くね⁉って、常々思っていたんだよ。


または、北九州方面(筑紫)へ行くなら、瀬戸内海航路だろうし、神戸の須磨や明石とかから海伝いだろって思ってた。


なぜ紀伊水道沖なんだ⁉と、ずっと不思議に思ってた。


大海原へ漕ぎだす理由は、黒潮に乗っていくことだと思うので、東は房総半島へ、西は宮崎や鹿児島だろと思った。


そういえば、予の国の向かいにあるのは、豊(トヨ)の国だねえ。


偶然にしちゃ、よくできた古名だと思うよ。


でも、ヤマトタケルは、紀伊水道ではなく、陸路で東へ向かっている。


その道中にあるのが、この毛呂山にある出雲伊波比神社というわけ。


そりゃ、偶然がかさなりゃ…必然というのでは⁉