ぱせりのお部屋

日常の愚痴や感じたこと、何気なく思ったことなどを徒然に書き込みます。

秋のお彼岸

そういえば、秋のお彼岸入りしましたねえ。


我が家は、母のせいで先祖の墓参りを出来ませんでしたので、生涯でただ一度だけ、小3の頃にしたことがあります。


そう、その時初めて母方の実家を訪れて、家にも親戚がいるのだと知った瞬間でした。


相当立派な先祖のお墓を見て、思ったのは…『嗚呼、ウチの親がハズレもんで、悪いのか...orz』という事と、しきたりや家柄なんて、本当に面倒臭いんだろうなと思ったものです。


結果、誰も墓参りは許されず、それ以降は行ったことがありません。


でも、なぜかこの秋のお彼岸だけは、毎年何気にあの時の墓参りを思い出します。


ネグレクトで毒親の母にも、悲しい過去があるのだと知った秋でした。


毒親の母は、面倒なので、これ以降は婆と呼称します。


小3だった私は、姉たちとともに母の実家へ、家出します…というか、元々婆が二十歳の頃に家出をしているので、家出の家出…つまり出戻りになるのですが、20年ぶりの里帰りだったそうです。


当然ですが、両親は鬼籍になって久しく、妹二人は都会へ嫁に行き、それぞれ家庭に収まっているそうで、実家は長兄が後を継いで今に至る状態。


何があって、どうして家出をし、妻子ある男性と関係を持ち、住居を点々としていたのか…この時まで我が家の事情は何も知りませんでした。


そりゃそうだ、婆は自分の都合の悪いことは、一切何も教えてくれないからです。


それでも婆にくっついて回れば、大叔母さんやご近所さんい親戚のいとこやはとこに会えば、何かしら察するものがあるわけで、特に婆が大叔母相手に詰め寄って、何やら言い争っていれば、子どもでもわかりますよ。


でも、そのシーンを見ていたのは私だけなので、他の姉妹は知りません。


何やら深い事情があり、揉めたことは私の記憶にしっかりと残った。


やがて、高校生になった私は、その一端を垣間見ることになる。


毒親には毒親の歴史と事情があり、毒親になるのか。


それを知る機会がやってくる。


これも姉妹は誰も知らない。




さて、そんな婆には、私が生まれる前に一人息子を亡くしている。


私には、三人の姉がいて、二番目と三番目の間に一つ空いているのだが、その空いた年に息子がいたらしい。


そしてそのことが原因で、夫婦仲は悪くなり、婆は夫を恨むようになったらしい。


さらに言うと、一年近く留守にしていた間に、三女が生まれていて、これまた不義を疑われたようで、見た目が長男にそっくりな赤子だっただけに、余計に互いの関係をこじらせたという。


そんな状態でも夫婦関係はあったようで、一年後に私が生まれる。


まあ、一応生まれるんだが…実は胎児の頃から虐待されていた。


ゆえに月足らずで生まれ、呼吸器系の疾患をもって生まれ、「病弱なので、成人するまで生きられない」とも言われる。


だが、父親の庇護のもと、とりあえず生き抜いた。


長男の事があって、とにかく父親が口喧しくなっていたお陰らしい。


そう、この長男の存在も私は小6まで知らなかった。


なぜって、無縁仏になっていたからだよ。


6年生の春のお彼岸の頃、初めて墓参りに預けたお寺へ、なぜか私だけを連れて供養しに行ったため、その存在を知ることになった。


以降も婆は、その子の存在を一切振り返ろうとしないし、後悔しかないのだろう。


私は一度、大人になってから、そのことを問い詰めたことがある。


でも、婆の口から出た言葉は…懺悔ではなく、後悔でもない恨み言だった。


嗚呼、本当ろくな思い出がないよ...orz


おかげで、ろくに墓参りができないし、させてもらえなかった。


そして、私もやがてその時が来たら…無縁仏になるだろう。


そう、誰も私のお墓に、手を合わせることはないからだ。


まあ、それも致し方がないと思うし、それでいいかな。


墓を残したところで、誰も管理できないからね。


残さない方が、お互いのため。